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セントパトリックスデー自体は結構静かだったりするの巻

shamrock.jpg 今日はセントパトリックスデーである・・・、というかそのはずである。 確かによく気をつけてみると街往く人々には、シャツや、ネクタイ、バッジなどにのアクセントをつけている人がいることはいるようだ。 だが週末のあの盛り上がりようからいくと、どうもイマイチなのは隠せない。 もちろん「今日はアイリッシュにとっては聖なる日なんだよ」とか、「だって平日なんだからさ~」っていう意見もあるかもしれない。 でも本当のところは、アメリカ人ってお祭り騒ぎが大好きってだけというところかもしれない。
 セントパトッリクスデーの主役、セントなパトリックスとはいかなる人物なのか? その辺を今回は少し紹介しようと思う。 「セントパトリックスはアイリッシュの英雄なのだから、アイリッシュでしょう?」と思われる方も多いだろうが、実は彼はスコットランド南部にあるダンバートンで389年に生まれた本名Maewyn Succetのブリティッシュなのである。 また「セントパトリックスはカソリックの聖人だから、カソリックでしょう?」と思われるかたも多いかもしれないが、これまた祖父、父、そして彼と続くancient church of Britainに属するクリスチャン家系であり、生涯を通してローマン・カソリックの影響下に入ったことはないのである。 ちなみにカソリックの文献に彼が登場するのは、死後175年を経てからのことであり、聖人として推挙されるのは1200年代に入ってからである。*
 彼が16歳の時のことである。 スコットランド近海を荒らしまわっていたアイルランドの海賊に捕らわれた彼は、北方アイルランドへ奴隷としてMilchoという男のもとへ売り飛ばされてしまうのである。 6年もの間を奴隷として羊飼いなどをしながら過ごした後、なんとか脱走に成功してブリテン島(スコットランド)へ帰り着く。 彼は後にこの辛く長い日々が、クリスチャンとしての成長を助けたことを告白している。 
 一度は父母の暮らすブリテン島を離れることは決してしないとまで誓った彼であったが、ある夜にアイルランドから来たというVictoricusと名乗る男と出会ったことにより、彼の人生は転機を迎えることとなる。 男が渡した手紙の中には、アイルランドで暮らす人々の嘆き悲しみが書き連ねてあった。 それを読んだ彼は、かつてのアイルランドでの苦難の日々を思い出すとともに、そこでの伝道活動に生涯をかけようと誓ったという。
 その後に彼がアイルランドにキリスト教を根付かせるきっかけを作ったことや、キリスト教における神と子と精霊とのいわいる三位一体説を理解させるために、三つ葉のシャムロック(クローバー)を用い、それが現アイルランドの国花となり、アイリッシュの象徴としても使われているという話しや、その布教活動を通してアイルランド島から蛇を追放したという逸話などは良く知られたところである。
 ちなみに先週末には昼間っから酒をあおって「おれっちは何々%のアイリッシュな家系だからさ~」などと騒いでいた連中が、明日からはさらっとドイツ系に戻っていたりすることはいうまでもない。
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* この経緯についてはDr. Smith, J. Lewisが、その当時のローマ法王の現存する140通にも上る手紙のどこにも彼に関する記述が見当たらず、またカソリック教会における資料にも彼の名は見つからなかったという報告がある。(Smith, J. Lewis : Patric of Ireland Not a Romanist, Associated Printing Co, Calif., 1924, P10) もちろんこういった歴史検証でロマンを描くのは楽しいが、セントパトリックの偉業に対する評価はなんら変わるわけではないということも一応ながら付け加えておく。