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シカゴはユニークな歴史を持つ街の巻

old-couple.jpg アメリカ合衆国という国は、イギリスから独立してまだ200年余りという比較的新しい国だ。 それだけにまだまだ国としての歴史が浅いとともに、国内の各都市での歴史というものもそれほどユニークではないことも多い。 
 しかしながらサンタフェやダラスのように、ネイティブインディアンやメキシコ人による異文化を背景に強く持つ街、ボストンやリッチモンド、ニューオリンズなどのように、独立以前からの欧米人による長い歴史を持つ街、NYCやサンフランシスコ、そしてシカゴのようにアメリカを代表する大都市などは、それでも他のアメリカ国内に点在する個性のほとんどない、どこへ行ってもウォルマートとテキサコなんかのガスステーション、そしてマクドナルドが散りばめられた、まったく変わり映えのしない風景を持つ町々に比べると、個性を持っているといえば持っている。
 このシカゴが西洋史に刻まれるのは、サントドミンゴ出身のフランス系黒人毛皮商のJean Baptiste Point du Sableが、1779年にシカゴリバーの河口に最初の入植地を建てたことに始まるとされている。 そして1830年にイリノイ-ミシガン運河の建設のために売却されると、3年後には人口350人の町へと急成長し、ネイティブ・アメリカンの言葉で「強い」とか「素晴らしい」という意味を持つシカゴという名がつけられた。(別に腐ったタマネギという意味もあるらしいが・・・) 
 1837年には町から市へ昇格し、人口は4.170人にまで増加。 またイリノイ-ミシガン運河の完成や、1848年の機関車の到着により、交通の要所としての機能が高まったことによって、わずか3年後には人口は3倍にも成長している。 
 ところがそんな急成長を続ける街に、シカゴ史に残る大惨事が発生する。 そうそれが前回紹介した1871年10月8日のシカゴ大火災である。 しかしながらこの悲劇をきっかけとして、シカゴは世界で初めての摩天楼型の都市へと変貌を遂げていくことになる。
 1893年には6ヶ月間で約2600万人もの訪問者数を記録した、世界コロンビア博覧会を開催し、未だにシカゴを代表する景観として現役で活躍し続ける高架列車のループをそれにあわせて導入する。 またこの時期には、現在も多くのシカゴアンや観光客を惹きつけるオーケストラや図書館、博物館なども登場し、シカゴの文化的な面の充実が図られる。
 その後アル・カポネの暗躍や、シカゴの新ボスと呼ばれたデイリー市長による長期支配を得て、シカゴはNYCに次ぐアメリカ第2の都市として成長を続ける。 現在では中南米からの移民で、人口急増中のLAがアメリカ第1の都市になったために、LA、NYCに次ぐ第3の都市という位置づけになっているが、それはあくまで人口数の話であって、未だに金融、経済規模ではNYCに次ぐ第2の都市である。 そういうけでアメリカ人たちは、未だにこの街のことを愛称を込めて「セカンドシティ」と呼ぶのだ。
 短いアメリカ合衆国という国にあって、際立つ個性を放つ都市シカゴ。 ヨーロッパ滞在中にも何度も話題にのぼったこの街が、日本人の中ではまだまだ知名度が低いのは非常に残念なことだと思っている。
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