メイン

音楽関係

">

2005年01月31日

内田光子&ダニエル・バレンボイムのシカゴ・シンフォニーの巻


uchida.jpg
 内田光子演奏、ダニエル・バレンボイム指揮、バルトーク ピアノ協奏曲第3番、(他ハイドン 交響曲第1番ニ長調、交響曲第104番ニ長調)を聴きにシカゴ・シンフォニーの演奏会へ行ってきました。 

 今回は友人からプレゼントされたチケットなので、いつものように急勾配になった3階席から見下ろすミニチュア楽団の姿ではなく、バレンボイムの汗が飛び散り、気合が入るたびにでる「フーッ!」という息遣いまでが聞こえてくる、臨場感あふれる最前席での鑑賞でした。 とりあえずシカゴが誇るバレンボイムについては、いずれ詳しく紹介させていただくことになると思いますので、ここでは内田光子さんにスポットを当てたいと思います。

 彼女は外交官の父親の仕事の関係もあり、幼少時代より海外生活が長く、その経歴もほぼ欧米での活躍が舞台となっている。 61年ウィーン音楽院でR.ハウザーに学び、さらにはヴィルヘルム・ケンプ、ステファン・アスケナーゼ、ニキタ・マガロフらに指導を受ける。 69年ベートーヴェン・コンクールで1位、70年ショパンコンクールで2位入賞、75年リーズ国際コンクール第2位。 70年台以降は、活動の拠点をロンドンに移す。

 84年イギリス室内管弦楽団の指揮と演奏を自ら行った、モーツァルトのピアノ協奏曲全曲演奏会が世界各地で好評を得る。 フィリップス・レコードによるジェフリー・テイト指揮モーツァルトのピアノソナタと協奏曲のCD全曲録音は、モーツァルト大全集の中にも含まれ現在でも評価が高い。 86年には「芸術選奨文部大臣賞」受賞、88年日本ゴールド・ディスク大賞アルバム・ジ・イャー受賞、89年グラモフォン賞受賞。

 これ以降しばらくはモーツアルト演奏家としての活動が顕著であったが、1990年ドビュッシーの12の練習曲が、音楽之友社主催のレコード・アカデミー賞器楽曲部門賞をはじめ、世界中で数々の賞を受賞したのを機に、クルト・ザンデルリンク指揮ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集、シューベルトのピアノ・ソナタ全集、モーツァルト作品、ショパンのピアノ・ソナタなどの録音を精力的に行う。 97年度レコード・アカデミー賞(器楽曲部門)受賞。 90年代後半には、フィリップス社が同社の看板指揮者ベルナルド・ハイティンクでさえ契約を打ち切るリストラを行ったが、内田は対象とされず現在も同社で録音活動を続けている。 このことからも、彼女がいかに国際的に評価を得ているかが伺える。

 2000年に入ってからは毎年のようにシカゴでも演奏を行うなど、現在の彼女はロンドンを拠点に世界中を忙しく飛び回り、モーツァルト、シューベルトからドビュッシー、シェーンベルク、メシアンまで幅広いレパートリーを披露。 シューベルトに対する思い入れは特に強く、「だれよりも心に語りかけ、強い影響を受けた、愛してやまない作曲家」、「死ぬ時にはシューベルトを弾いていたい」とまで語っている。 

 この演奏会へ行くまでは、特に彼女のファンであるというわけではなかったのですが、自分自身が去年の秋に永住権を取得し、今後本格的にアメリカに住むことを決意しただけに、力強い演奏やステージ上での彼女の凛とした姿は、世界で活躍する日本人の大先輩として非常に輝いて見えました。 また内田さんの演奏されたバルトーク自体、はっきりいって今までほとんど聞いたこともなかったのですが、シカゴの寒さに参ってここのところ出無精気味であっただけに、この1945年バルトークが死の直前に愛する妻の誕生日プレゼントとして作曲(未完)した作品は、いつも我侭放題に付き合ってくれている自分の奥さんへの最高のプレゼントになりました。

 「内田は内田以外の何物でもない。エレガントで、深い洞察に満ち、何を弾いても、知性と情感の絶妙なバランスを生み出す」(シカゴ・トリビューン)

 「ユキノヒノシマウマ」は、最もアメリカらしいと呼ばれる街シカゴから生情報を発信していきますので、「人気ブログランキング」へのクリックよろしくお願いします。banner_03.gif


日本赤十字社からの義援金申し込みはこちらから

2005年02月14日

グラミー賞にシカゴ出身カニエ・ウェストが最多ノミネートの巻

kanye.jpg グラミー賞の授賞式が開催されている。 第47回の今回は、シカゴ出身のカニエ・ウェストが最優秀新人賞やアルバム・オブ・ザ・イヤーを含む最多全10部門にノミネートされていることでも注目である。 

 彼はジェイ・Zからブリトニー・スピアードまでをプロデュースする、アメリカの音楽業界で今もっとも売れっ子のプロデューサーである。  シカゴ出身26才で、美大に通うが一年で退学し、トラック・メイキングに専念するようになる。 2000年ジェイ・Z『Dynasty Roc la Familia』に「ディス・キャント・ビー・ライフ」を提供し、以後『ブループリント』では「Izzo(H.O.V.A.)」、『ザ・ブループリントⅡ』では「'03ボニー&クライド」と、手掛けた楽曲は何れも1stシングルとなり、ジェイ・Zが"リスペクトするプロデューサーだけに楽曲提供を依頼した"という『ザ・ブラック・アルバム』でも2曲提供。  プロデューサーとして参加しているトゥイスタ『Kamikaze』は全米アルバム・チャートで1位を記録。 2002年MCとしてロッカフェラと契約。 満を持してのデビュー・アルバムは、全米ではノラ・ジョーンズと同じ発売日にリリースされたため、惜しくもチャート初登場2位にとどまったが、発売1週目で44万枚と驚異的なセールスを記録している。

 今、画面ではレナード・スキナードフリーバードスウィートホーム・アラバマが生演奏中です。 それではTV鑑賞へ一旦戻ります。

 「ユキノヒノシマウマ」は、最もアメリカらしいと呼ばれる街シカゴから生情報を発信していきますので、「人気ブログランキング」へのクリックよろしくお願いします。banner_03.gif


photo © Roc-A-Fella

レイ・チャールズに捧げる第47回グラミー賞の巻

Genius Loves Company 昨年6月に亡くなった、グラミー賞12回受賞の“ソウルの神様”レイ・チャールズの為のグラミーといっても過言ではないほどに、会場ははレイ・チャールズ一色だった。 彼の音楽性とともに、いかに彼が音楽業界からも愛されていたかという証だろう。  レイ・チャールズへのトリビュートの盛り上がりも素晴らしかったが、グラミー賞も最優秀アルバム「Genius Loves Company」をはじめ、ポップス・ボーカル、ゴスペルなど計8部門で栄冠に輝いた。

 第47回グラミー賞授賞式がロサンゼルスで行われ、最優秀レコード賞はノラ・ジョーンズと昨年六月に死去したレイ・チャールズのデュエット曲「ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン」、最優秀楽曲賞にはジョン・メイヤーの「ドーターズ」、最優秀新人賞にはマルーン5が選ばれた。 グラミー賞は、10月から翌年9月までに米国内で発売されたレコードやCDを対象に、非営利団体の全米レコード芸術科学アカデミーが主催し、作曲家やプロデューサーら音楽業界関係者のアカデミー会員約1万3000人の投票によって、107部門の受賞者が決定される。

 それにしてもスマトラ沖津波災害への募金活動の一環としてアーティストが競演したライブ「ビートルズのアクロス・ザ・ユニヴァース」などは、「アリシア・キース、スティービー・ワンダー、ノラ・ジョーンズ、スティーブン・タイラー、スラッシュ、ティム・マッグロウ、ボノ他」という普段は絶対に見られない組み合わせによる超豪華メンバーの熱唱なのだから、グラミーならではの貴重なシーンといえる。

 音楽評論家の湯川れい子は、「(映画や音楽などで)相対的に全貌が見えてくると、やっぱり(レイは)大変なジャイアントだったと気付く。 ビートルズやプレスリーのように、ジャイアント・オブ・ザ・ミュージックの切り口の中に彼が彫刻のように永遠に立ち続けると思う」と語る。

 「ユキノヒノシマウマ」は、最もアメリカらしいと呼ばれる街シカゴから生情報を発信していきますので、「人気ブログランキング」へのクリックよろしくお願いします。banner_03.gif
 
   

About 音楽関係

ブログ「ユキノヒノシマウマ」のカテゴリ「音楽関係」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。新しい順番に並んでいます。

前のカテゴリは街角写真③です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページもどうぞ。

Powered by
Movable Type