Civil War

〜 世界史上最大の内戦 

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 現在、アメリカ合衆国は史上空前の大好景気を迎えているが、そんな中でたった一箇所だけ、ぽつんと周りの喧騒から取り残されてしまったような地域がある。 

そう、それがここヴァージニア州の位置する南部である。 NYCに代表される東部、Chicagoに代表される中西部、LAに代表される西部などに比べ、この地域は明らかに発展のスピードにおいて遅れをとってしまっている感はいなめない。

それをまたよし、と感じる人達もいるだろうし、周りに流されず独自のスピードで進むのもいいではないか、とはっきり言える人達もいるとは思う。

しかしながら、現実にはこの事実を快く思っていない人達が大勢存在する。

 また南部人に今でも根強く残る、北部に対する強烈なコンプレックス。 

 第2次世界大戦時においてすら、シャーマン戦車に乗るのを拒否した南部出身の兵士が多数存在したらしい。 ちなみにこのシャーマン戦車の名前の由来は、南北戦争において南部人から”悪魔”と恐れられた名将ウィリアム・T・シャーマン少将に由来する。

南部のハーバードやら、南部のエンパイアーなどなど。 北部の有名どころに必ず対抗した名前が冠せられている物は、今でも何かと多い。

 などなど何と建国以来、南北戦争を除く現在までのアメリカ合衆国が関わった、全ての戦争の戦死者よりも多い(戦死者約60万人)という1861から1865に起こった悲惨なこの内戦が、南部に与えた影響は計り知れないものがある。

 さて、この戦争がどのくらい南部の人々に暗い面影を残したかは、現在の南北間での経済的発展状況をみてもらえればご理解いただけると思うが、このページにおいて肝心なのは、この内戦において主に活躍した人物や舞台は南部であるという事である。

もっと言えば、重要なキー・ポイントには常にヴァージニアが大きく関わっていたのだ。

具体的にあげると、まず南部同盟の大統領ジェファーソン・デービス、南軍のトマス・J・ジャクソン少将、ロバート・E・リー大将・陸軍総司令官や北軍のウィンフィールド・スコット連邦陸軍総司令官。  さらに数限りない名将・名仕官の多くはヴァージニア出身者によって占められていた。 これを南部ということにまで拡大すると、北軍の大統領エイブラハム・リンカーンまでがこれに加わってしまう。

また戦場の約60%はヴァージニア内にあり、南軍の首都(ホワイトハウス)もヴァージニアにあったという具合である。

  この内戦において、その名を世界に知らしめた代表的な人物として、先に挙げたロバート・E・リー将軍がいるが、彼が率いていたのがかの有名なArmy of Northern Virginiaである。 これに対して北軍が結成し、ANVと東部戦線に於いて互いの首都を巡り激戦を繰り広げたのがArmy of the Potomacである。 

圧倒的劣勢の南軍が、北軍と互角に4年間も渡り合えたのは、ひとえにこのリー将軍のおかげといわれている。 また戦前から彼の米墨戦争における活躍などで、全米にその名は知れ渡っており、北軍も自陣に引き入れるべく必死の誘致を計ったようだ。

しかしながら彼の故郷ヴァージニアへの思いは強く、南軍にヴァージニアが加盟した時点で彼の南軍への加入は決心づけられた。 それだけにヴァージニアンの彼にかける思いは熱い。

 南軍には、上記のようにこのリー将軍と共にそれまで合衆国として外国と戦い戦歴を積んできた、将星のほとんどが属しており、戦上手という意味では北軍を圧倒していた。 

その戦況が南軍敗北へと決定づけられる要因の一つが、西部戦線で親友シャーマンと共に活躍し、ヴィックスバーグ攻略迄に至るミシシッピ川制圧戦を指揮していたユリシース・S・グラントが、1864年に北軍の陸軍総司令官及び中将に任命された事である。

この時にグラント将軍がとった犠牲を一切厭わない激しい消耗戦は、国力に劣る南軍(人口は2倍、産業労働者は5倍、工場は6倍)にとって、より大きく圧し掛かった。 さしものリー将軍もこれには退却の一途しかとるすべは無く、かくして南部連合終焉の時は近づくのである。 

ちなみにこのグラント将軍は1869年から8年間、第18代合衆国大統領を勤めたが、アルコール依存症の上に汚職まみれの政権で、歴代大統領中最低の大統領と言われている。

 最後にヴァージニアとリッチモンドと名付けられた、南軍軍艦にまつわる話しを少し。

 「ヴァージニア」 : 北軍により焼却された汽走フリゲート「メリマック」の喫水線下を回収して、建造された南軍最大の装甲艦(1862.2就役)。

18623月帆走艦2隻撃沈、1隻座礁の戦果を挙げている。  

有名な参歴として、ハンプトン・ローズ海戦(1862.3.83.9)がある。  この海戦は、北軍モニターと南軍ヴァージニアによる史上初の装甲艦同士による海戦として知られている。 このハンプトン・ローズという所はヴァージニア州東南端にある泊地で、注ぎ込む河川を遡上すれば両軍の首都を突くことが出来る戦略上の要衝であった。  

またこの海戦でヴァージニアと一騎打ちを演じ、引き分けている「モニター」は、スウェーデン人発明家エリクソンが設計した回転砲塔式装甲艦で、この後に建造された北軍低乾舷装甲艦のモデルとなっている。

 「リッチモンド」 : 南軍の量産型装甲艦。1862年〜64年にかけて6隻が就役している。

ちなみに私の研究室があるビルは、この当時の南軍総司令軍の大本営という事らしい。

 

 * このページの写真は、全米で最も美しい通り50選に選ばれたモニュメント・ストリートにあるリー将軍像。 彼は現在でもアメリカで、最も人気のある将軍との事である。

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