Another White House
〜 もうひとつのホワイトハウスの物語 〜

ヴァージニアには、北米におけるイギリス最初の植民州であるという歴史の他に、もう一つ別の重要な忘れてはならない歴史がある。
それこそが俗にCSA(Confederate States of America)、日本語訳で南部連合国またはアメリカ盟邦と呼ばれるものの中心州としての歴史である。
このCSAは、ヴァージニア・ノースカロライナ・サウスカロライナ・ジョージア・フロリダ・テネシー・アラバマ・ミシシッピー・アーカンソー・ルイジアナ・テキサスの南部11州が、USA(United States of America)から離脱して結成した国家である。
この国家建設の要因は、北部の工業に対して南部の大農業と経済の基盤形式における食い違いが、その原因であると一般に良く言われている。
だがその理由はどうであれ、一兵士たちはそんな政治理念などに関係なく、Jonny(南軍兵士の愛称)としての誇りにかけて、Dixie(南部人の魂と呼称される南部賛美歌)を歌い、Lost Cause(南部独立を正当化する理念)を合言葉に、Star & Bars(南部連合の国旗)のもとに集まり、Yankee(北軍兵士の愛称)と勇敢に戦った。
南部連合の国旗であるStar & Barsには、13の星が最終的にあしらわれていたが、これには上記の11州の他にミズーリ・ケンタッキーの2州が加えられていたからである。 この2州は、南部の人々の間では無理矢理連邦に加入させられた、と考えられていたのがその理由である。
南部連合が正式に成立したのは、1861年の2月4〜9日に開催された初期7州によるアラバマ州モントゴメリーでの会合においてである。
この直後の2月18日に、首都はモントゴメリーに、大統領はジェファーソン・デービスに決定される(リンカーンの第16代合衆国大統領就任は、3月4日)。
さらに4月17日にはヴァージニアが連邦を脱退し、5月29日にはヴァージニアの州都であるリッチモンドへの遷都が決定する。
このヴァージニアは、南部連合では白人・奴隷とも最大の人口を擁した州であり、政治・経済・軍事の中心州となった。
これ以降、リー将軍らの活躍により1863前半までは非常に良く戦ったが、1863年4月のトマス・J・ジャクソンの戦死(味方の誤射)により転機を迎え、ゲティスバーグ(1863.7.1〜7.3)における決戦、スポットシルヴェニアの戦いに於いての首都リッチモンド攻略を巡る塹壕戦(1864.5.8〜5.12)、アトランタ攻略戦(1864.7.20〜9.2)に次々に敗れ、善戦空しく1865年4月3日には首都リッチモンド陥落。
続く、5月10日、南部連合国大統領のジェファーソン・デービス逮捕、5月26日、E・K・スミス将軍のニューオリンズでの降伏。 そして、チェロキー族出身のインディアン将軍として有名なスタンド・ワティの降伏をもって、南軍の抵抗は終わりを告げる。
アメリカ人の魂の中に今も非常に重要な位置を占め続けるこの南北戦争の中心州として、また首都として、ここヴァージニアとリッチモンドは、その記憶を語り続ける。
* このページの写真は、南部連合の存在した1861〜1865の期間、首都リッチモンドにありジェファーソン・デービスが指揮をとった所である。
そのため南部のホワイトハウスと呼ばれ、私の研究室の小さな道を挟んだ向かいに現在でも変らずにひっそりとたたずみ続けている。
ただ負けたものの儚さか、その姿はあまりに寂しい・・・。